クラウドファンディングがこじ開けたパンドラの匣
文化政策研究者
太下義之
文化政策の分野でクラウドファンディング(以下、CF)が大きな話題となったのは、独立行政法人国立科学博物館(以下、科博)の事例であろう。2023年8月から11月まで、目標金額1億円のCFが実施された結果、総額約9.2億円、支援者は約5.7万人となり、国内CF史上最高額を更新した。
実はこの事例に先立って、文化庁ではCFをさまざまに推進していた。2020年3月には、全国の自治体担当者や文化財所有者に向けて、CF等の多様な資金調達を促進するため『文化財保護のための資金調達ハンドブック』を作成・公開した。また、2022年4月には、民間投資を活性化してより効率的に文化財保護を促進するため、国宝・重要文化財の修理について、寄附やCFを活用した場合のインセンティブを付与すべく、補助率加算の仕組みを取り入れた。2024年3月には、官民共創による寄附促進事業「文化財サポーターズ」を開始した。そしてこの一環で、CFサービスのREADYFORとの間で「文化財の保存・活用のための寄附促進に関する連携協定」を締結した。
そもそも「クラウドファンディング(crowdfunding)」とは、インターネットを介して不特定多数の人々(crowd)から資金を集めること(funding)によってプロジェクト等に資金を提供する取り組みであり、ピアツーピアの消費者融資等も含む、銀行等の従来の金融システムの外側で提供される金融チャネルである「オルタナティブ・ファイナンス」の一類型である。世界のCFの市場規模についてはさまざまな推計が行われているが、Cambridge大学の Centre for Alternative Finance が発行した“The 2nd Global Alternative Finance Market Benchmarking Report”(2021)によると、寄付ベースのCFの市場規模は2020 年には世界で 70 億ドルに達した。
さて、冒頭に紹介した科博のCFの事例に戻ると、同館がCFを実施するのは今回が初めてではない。過去において「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」(2016~2019年)、「YS-11量産初号機の公開プロジェクト」(2020年)等、プロジェクト単位でのCFを実施済みである。もっとも、これらのプロジェクト単位でのCFの場合、仮に目標の資金を調達できなかったとしてもミュージアムの通常の運営に支障が出るわけではない。
しかし、今回のCFは、標本・資料の収集・保管というミュージアムの機能の根幹に関わる事項が資金調達の目的であった。こうした目的でCFを実施することで、当然、「国はいったい何をしているのだ」という批判が出ることは十分に予想された。それでもあえてCFを実施したということは「確信犯的」であり、この科博の事例は「パンドラの匣」をこじ開けたと言える。では、その「パンドラの匣」をのぞいてみると、いったいどのような課題が見えるのであろうか。
第一に、科博が民間の施設ではなく、「国立」のミュージアムであったという点を巡る課題である。国立の施設であれば、本来は国民の理解を前提として、国が責任を持ち予算をつけるべきである。言い換えると、そもそも「パブリック」にミュージアムを持続していく意味とは何なのかという深く根源的な問いかけがあるべきであった。しかし、その問いかけを回避し、問題をエアコンの不調やカビなどの目先の課題に矮小化してしまったのではないか。CFは、一見するとステークホルダーを開拓・拡大しているように見えるが、こうした観点から、CFを今一度見直してみると、実はステークホルダーを一部の有志の寄付者に限定してしまったのではないかという課題がここに見えてくる。
また、科博のCFにおいては、例えば「かはくオリジナル図鑑」など、40種類以上の魅力的なリターン(返礼品)が用意されており、そのことが今回のCFの成功の一つの要因であったと考えられる。しかし、ここに第二の課題を見出すことができる。それは、そもそも通常のミュージアム活動において、「リターン」は存在しないのであろうかという問いかけである。今回のCFの成功とは、ミュージアムの社会的・文化的価値のリターンは何なのかという本質的な議論を置き去りにして、分かりやすく魅力的ではあるが短絡的な返礼品に頼ってしまった結果なのでないのか。寄付もファイナンスの一形態と考えると、それは「未実現の価値と資金との交換」であると言える。そのミュージアムの「未実現の価値」とはいったい何なのか、というより深い問いかけがここに浮かび上がってくる。
おそらく、今般の科博のCFの最大の成果は、その資金額の大きさにあるのではなく、大きな話題とともに、本稿もその一つであろうが、ミュージアムを巡るそもそも論の議論を喚起した点にある。「パンドラの匣」が開いた今、これから必要なのは、ミュージアムのベーシックインカムの議論を含む、ミュージアム政策の抜本的な再構築なのではないか。